自分を生きるために必要なこと

自分の問題は、

何か困難が起こらない限り

なかなか自分で見つけることは難しいですが、

最近になって母と、

半ば強制的に距離を置いたことで分かったのは、

「母のために生きていた自分」

がいたことです。


わたしの母は、

母親という言葉を盾に、

子供を監理し、

支配する傾向がありました。

子供に自由意志はありませんでした。


母はおそらく凄い孤独の持ち主なのですが、

その孤独を、

自分が都合よく扱えるよう子供を育て、

そして子供に依存することで、

その孤独を埋めていたように感じます。


母のお腹を借りて育ったので、

わたしは母親というものを

そういうものだと

無意識に受け入れていたんですね。

無意識なので、

最近まで気づくことが出来ませんでした。


自分を生きはじめると、

自分でないものに違和感を覚えるようになります。

「この違和感はなんだろう?」

そう自分に問いかけていた半年でした。

最近になってやっと、

この違和感は、

「わたしは母に都合よく使われている」

というものすごい怒りでした。


これを母に言っても、

親=子供を思い通りにできるもの

言うことを聞かない子=悪い子=裁きの対象

という信念が出来ており、

その信念を崩すには、

わたしが思い通りにならないことを

問答無用に示さなければなりませんでした。


そして、

わたしも自分のために辛辣に母を突き放しました。


ここ数日が過ぎ、

時折、

幼い頃の無邪気なわたしが顔を見せるようになりました。

変わらない日常の中で、

自分の力が少しずつ抜けていく心地良さ

言いたいことを話している素直さ

やりたいことをやろうという自由の獲得とそのための責任

胸の片隅の母を突き放したほんの少しの罪悪感


もう誰にも

わたしの心を明け渡すまい

と思いました。

心は自分以外の誰にも明け渡してはいけません。

親であれ心を操縦させるということは、

自分を奴隷化させる結果を招きます。


あるがまま、

自由に生きることを決断すれば、

そのために手放すものや放棄するもの、

自由のために約束する責任など、

それらが自ずと出てきました。


そう、

わたしにとって必要だったのは、

母親から意思決定の権利を取り戻すこと。

そして、


自分で決断を下す

という自由でした。

Samawellbeing

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